はみだしきれないあなたへ

はみ出しきれない一般人のブログです

鬱病の家族を持つあなたへ

2015年、唯一の進歩。

母ときちんと話をしたこと。

 

私の母親は鬱病だ。

物心ついたときから、いつも暗い顔をして「死にたい」と言っていた。

 

包丁を持ちながら死のうとしているところを、姉と泣きながら止めたことがある。

彼女の中で何かが切れて、朝になっても帰ってこず、父が探し回って連れ戻す時期があった。

学校から帰ると「調子が悪いから」と寝ている母の姿を普通だと思っていた。

 

「死にたい」

「あなたがいたからお母さんは夢を諦めた」

「本当に役に立たない子ね」

 

そう言われ続け、

「じゃぁ産まなければよかったのに」

いらない子なら、なんで産んだの?」

 

子どもの頃はずっとそう思っていた。

でも、答えを聞くのが怖くて聞けなかった。

 

 

時は経って、私は大人になった。

家を出た。自分のお金で生活をしている。

たまに実家に帰って話す程度の母親との距離感が一番楽だ。

 

ふと聞いてみた。

 

「昔からあなたのせいで夢を諦めたと言っていたけど

それなら何故わたしを産んだの?」

 

母は答えた。

「当時は、中絶なんて選択肢がなかったから。」

 

ひょうしが抜けた。

きっと私は、母が「子どもが生まれて嬉しかったから、あなたの方が大切だから」と答えるのを期待していたのだと思う。

でも違った。

 

ああ、本当にこの人は何も考えていなかったんだなと思うとショックではあったが

長年の疑問が晴れて、何故かすがすがしい想いだった。

 

そして私の質問によって、彼女は少し気づいたようだった

母親である自分の言動がいかに子どもの自尊心を奪っていたか。

 

私には、それだけで十分だ。

 

 

 

こんな母親ではあるが、私は彼女に感謝している。

 

彼女は父親から暴力を受けながら

寝たきりの母親を看病して育った。

自分より良くできた妹と自分を比べて劣等感を持っていた。

そして、妹が自殺した。

 

詳しくは教えてくれないが、

彼女は結構ひどい人生を送っている。

鬱病になっても何らおかしくない。

 

でも、彼女は私に暴力をふるったことはない。

しつけで手をあげることはあっても。言葉の暴力はあっても。

 

「暴力を受けながら育った子どもは暴力をふるいながら子どもを育てがちになる」

そんな傾向があるなか、負の連鎖を断ち切ってくれた母親には感謝しかない。

 

次は、私がもう一歩、負の連鎖を断ち切る番だと思っている。